なろう系小説が一部に伝搬しやすい理由の推測。

一般小説=一般常識が前提での構成。前提知識があるひとには「長ったらしい」
ライトノベル=先人が規定していった「ライトノベル常識」前提であり、「無駄」な要素が少ない
なろう系小説=異世界もの、とか極悪令嬢もの、とかの「特定前提設定」を利用することで「特色」のみを楽しめるものに特定化。弊害として、前提条件が「わかっていない人」には面白さがわかる前に混乱が発生。

上から下に行くに従いそもそもの想定顧客数が減少していくから、大ヒットは望めないのはわかっているのに、出版が増えているのは果たしていいことなのか・・・

今のご時世、一人がエンタテイメントに避ける時間は限られているから、「圧縮されたエンタテイメント」としてのなろう系小説のほうが販売が固いのは仕方がないのかも。
スマホ系ゲームが流行っているのが「隙間時間でのエンタテイメント」なら
なろう系の特定コンテンツが流行るのは「圧縮時間でのエンタテイメント」あたりですか。
映画とかスキーがはやらなくなるのは「時間当たりの満足度」が最新のコンテンツに比べて「効率が悪い」と考えれば説明がつきそう?

つぎのエンタテイメントの主役は「強制的に満足度を跳ね上げる」エンタテイメント当たりになりそうですが、
果たして合法的にどこまで可能なことやら。
VRかARあたりで「わかりやすい多量の情報の海」に浸すことができればいけそうかな?
難点は一人一人に合わせた「わかりやすい情報の塊」をどうやって用意し、届けるか。

そういえばなろう系で「スローライフ」系が流行るのは、「圧縮時間でのエンタテイメント」に反しているのですが、
これは現実世界でスローライフ系エンタテイメントはあきらめている世代が「一瞬の間の疑似スローライフ体験」を楽しんでいると仮定すれば説明がつくのかな?
その流れが事実だとすると、古き良きエンタテイメントを「圧縮して疑似体験」できるコンテンツはまだまだ増やせそう。

余談
人生経験過多な人は頑張れば圧縮コンテンツを楽しむよう訓練はできるけど
若輩者は時間をゆったり使うコンテンツの良さを理解できるまでにどれだけの訓練がいるのやら・・・